喉頭癌だった祖父。
放射線と抗がん剤治療で寛解にはなってた。
放射線で喉頭蓋が焼けたようで、物を飲み込むと誤嚥の可能性が高くなり、胃ろうも増設した。
「口から食べられることはない」
そう医師から告げられて、旅行先でも食べられず、胃ろう。
泣いてる姿も見た。
でも奇跡的に喉頭蓋が形成されて再び口から食べられるようになった。
祖父と一緒に近くの体育館に行った時のこと。
ぼくはランニング、祖父はウォーキングをしていたけども、家に帰ってから明らかに疲れ方が違っていた。
それ以前にDIYをしている最中に指を切って血がなかなか止まらないと言っていた時があった。
白血病だった。
再びの抗がん剤で髪の毛は抜けていたし、
祖母との言い争いになり、ぼくが何度も仲裁したり、
遺書をぼくに託し、遺影の撮影もぼくがしていた。
亡くなる1週間前には脳梗塞を発症。
若干の麻痺が出ていた。
「首が痛い」
としきりに言っていた痛みが亡くなる前日には
「もうダメだ」
という発言に変わり、鎮静に。
あっという間に亡くなった。
亡くなる姿を間近で見て、
手を握って、
声をかけられたのがとにかく良かった。
一方でたくさんやれたことがあるのではないかと8年経った今でも思う。
ただ病室にいてスマホをいじって過ごしていたこともあった。
祖父と一緒に寝ているだけのこともあった。
その場に一緒にいることだけでもいいのかもしれない。
一緒に過ごせたということと
まだたくさんできたよねっていうこと
ずっと考えることにはなると思う。
今日は妻の検診日。
お腹の子供、見せてあげたかったな。
Uta